物価上昇は政権交代のきっかけになるか?「インフレを放置すれば政権は確実に倒れる」という民主主義の残酷な掟【林直人】
先進国、過去25年を振り返る〜政権の生死を決めるのは国会ではなくスーパーのレジ
■結論:有権者は財布で政権を殺す
この第1部が突きつけるのは恐ろしい現実だ。OECDの首脳たちがいかに演説を繰り返そうとも、レジの前で怒りを募らせる有権者の前では無力だ。
2%のインフレなら見逃されるかもしれない。だが5%、8%を超えた瞬間、政権の寿命は「時限爆弾」へと変貌する。
民主主義の真の主役は有権者ではない。冷酷な数字だ。
そしてその数字が示すのは――インフレこそが政権の「見えざる暗殺者」だという事実である。

【インフレ率1%上昇で政権が崩れる確率は何%か?】
――プロビット・モデルが暴いた民主主義の脆弱性
■1.3 分析戦略:冷酷な数式が暴く「政権崩壊の確率」
政権交代とは選挙の一幕ではない。それは「発生するか、しないか」の二者択一、政治の生死ゲームである。
この冷徹な現象を解明するために採用されたのは、パネル・プロビット・モデル――統計学の断頭台だ。
その数式はこうだ:
・Φ:冷酷な標準正規分布。
・α_i:国家の“DNA”――政治制度や文化など、変わらぬ宿命を背負う国固有の要因。
・Controls:GDP成長率、失業率、政権の寿命といった経済の影のプレイヤー。
そして、焦点はただ一つ――β₁。
もしこの係数が統計的に有意で正ならば、それは「インフレが政権を殺す」という動かぬ証拠となる。
さらに冷徹な分析は、「限界効果」にまで切り込む。つまり――インフレ率が1ポイント上がったとき、政権が倒れる確率は具体的に何%膨らむのか?
数字は政権の寿命を告げる死刑執行令状である。
■1.4 分析結果:数字が政権を撃ち抜く瞬間
推定の結果は表2に示されている。複数のモデル仕様――制御変数を加えた場合、固定効果を組み込んだ場合――そのいずれでも結論は揺るがない。
結論は恐ろしくシンプルだ。
・インフレ率が高まるほど、翌年の政権交代の確率は上昇する。
・この関係は統計的に有意であり、政治学者の机上の空論ではなく、冷酷なデータが突きつけた歴史のパターンである。
言い換えれば、「昨日の物価上昇」が「明日の首相官邸」を決める。
経済ニュースの小さなパーセンテージの変化が、そのまま首脳の椅子を揺るがす。
■政権の生死を決めるのは国会ではなくスーパーのレジ
この分析が暴いたのは、民主主義の皮肉な真実だ。
首相の演説や議会の攻防ではなく、パンの値札が有権者の怒りを煽り、やがて政権を葬る。
インフレ率+1%――それは経済学者の数字遊びではない。
それは政権の余命を削るカウントダウンなのだ。
表2:政権交代の決定要因に関するパネル・プロビット分析
モデル(1) |
モデル(2) |
モデル(3) |
|
変数 |
係数 (標準誤差) |
係数 (標準誤差) |
係数 (標準誤差) |
Inflation_t-1 |
0.045*** |
0.031** |
0.028** |
(0.015) |
(0.014) |
(0.013) |
|
GDP_Growth_t-1 |
-0.025*** |
-0.022*** |
|
(0.008) |
(0.007) |
||
Unemployment_t-1 |
0.018* |
0.015 |
|
(0.010) |
(0.009) |
||
Gov_Duration |
-0.150*** |
-0.142*** |
|
(0.021) |
(0.020) |
||
国別固定効果 |
なし |
なし |
あり |
観測数 |
950 |
950 |
950 |
疑似R二乗 |
0.02 |
0.09 |
0.15 |
注:標準誤差は括弧内に示す。* p<0.1, ** p<0.05, *** p<0.01
■表2の冷酷なメッセージ
推定結果は一貫して明快だ――インフレと政権交代は危険なほど密接に結びついている。
特に包括的なモデル(3)では、Inflationₜ₋₁ の係数は0.028、5%水準で有意。
この小さな数字が告げているのは、前年のインフレが翌年の政権を確実にむしばむという事実だ。
だが真に恐ろしいのは「限界効果」だ。
■インフレ率+1%で政権崩壊確率+1.1%
モデル(3)によれば、インフレが1ポイント上昇するごとに、政権交代の確率は 1.1ポイント増加する。
一見すると小さな数字かもしれない。だが平均の政権交代確率が35%であることを踏まえれば、これは「有権者が政権を殺すナイフの切れ味」を確かに研ぎ澄ましている。
インフレ率が5%を超える頃には、そのリスクは連鎖反応を起こし、首相官邸のドアを叩く音が現実味を帯びてくる。
■経済の影の守護者:成長と安定
制御変数の結果もまたドラマチックだ。
・GDP成長率(GDP_Growthₜ₋₁)は負の係数。
→ 経済が好調なら政権は守られる。「景気は最大の与党」である。
・政権存続期間(Gov_Duration)も負の係数。
→ 長く続いた政権は倒れにくい。歴史の重みと制度的な蓄積が政権を守る。
しかし、こうした守りも「インフレ」という猛毒の前には脆い。
■非線形の恐怖:インフレは“閾値”を超えると牙を剥く
頑健性チェックでインフレ率の二乗項を投入したところ、係数は正で有意。
これは何を意味するか?
低インフレからの上昇はまだ許される。だが高インフレ期に突入すると、その政治的ダメージは指数関数的に跳ね上がる。
2→3%のインフレは“忍耐”の範囲。
だが6→7%のインフレは“政権の死刑執行”だ。